About our business CO-COSのモノづくり

About our businessCO-COSのモノづくり

明治、大正、昭和、平成、そして令和へ。120年に渡り、時代とともに飛躍してきたCO-COSは、
長年、培ってきた技術を未来へ繋げていくために新たな形の工場を作ることにしました。
CO-COSのモノづくりのDNAを再構築し、さらなる発展を目指します。

CO-COSの歴史

本社工場は創業当初から形、姿を変えながら続いている。
1901年、備後絣のふるさととして知られる福山市新市町で、備後絣の卸問屋「信岡商店」として創業したのが始まり。三代目の信岡正郎が「問屋業に未来はない」と縫製業へ転身し、1960年に社名を「信岡センイ」と変更。翌年には本社工場を現在の場所へ移転します。そして、創業90周年を迎えた1991年に社名を「コーコス信岡」に変更。常に時代やニーズに合わせて進化を続け、現在に至ります。
国内の分業化が進み、時代の流れとともに多くの自社工場機能は海外へシフト。
高度経済成長期に発売したカラフルな作業服が評判になると、縫製の人手が足りなくなり、1972年に飯盛工場(長崎県)、1974年に野母崎工場(長崎県)を設置。
販売を拡大していく中で、国内の工場は分業化が進んでいきます。平成に入ると、業界に先駆けて海外生産をスタートし、中国とベトナムに自社工場を設立しました。
HOPTHINHの技能実習生も来日。国内に技術を取り戻すラストチャンス。
現在の本社工場は、プレスやボタン付けなどの後加工を外注業者に依頼しています。縫製作業を担っている職人は高齢化が進み、ベトナムの自社工場・HOPTHINHから多くの技能実習生を受け入れています。数年前から「このままでは創業以来培ってきた技術が途絶えてしまう」と危惧してきました。国内に技術を取り戻す最後のチャンスです。

日本一の工場を目指す〔当社の考える日本一とは〕

ハード(設備・機能など)

今の本社工場に残っているのは「裁断」「縫製」「加工」「検品」のみ
多くの同業者が生産拠点を海外に依存する中、小さい規模ながら地元に工場を残してきましたが、現在残っている工程は裁断・縫製・加工・検品のみ。
改めて全工程の内製化を図る(特に「プレス」「特殊」「仕上げ」)
新しい工場は、1・2階が工場、3階が展示室の3階建て。工場部分は、最大50人が作業できる広さになり、仕上げのプレスで使用するボイラーを新たに導入。将来的に、自社で丸縫いができるよう全行程の内製化を図ります。
新しい技術・新しいサービスに挑戦!!
将来的には製品になった企業のロゴを刺繍したり、転写プリントができる機械の導入を検討しています。
小ロットの個別加⼯のオーダーにも細やかに対応でき、常に新しい技術・新しいサービスに挑戦していきます。

ソフト(人/スキームなど)

海外の縫製工場にCO-COSの技術を発信する
工場の生産量は現状維持です。現在、国内で約2万点の商品を作っていますが、数はキープしつつ、さらに品質を上げていきます。CO-COSのモノづくりのDNAを再構築し、海外の縫製工場にCO-COSの技術を発信していきます。
工程全体の流れを意識し、自分で考えて行動できる人材
当社が行っているのは、工程から工程へ渡すリレー形式。生地を確認し、資材を揃え、裁断し、仕分けし、ミシンをかけ、加工し、プレスして…という一連の流れを意識しながら作業し、自分で考えて行動できる人材を育成します。
「自分たちが品質を作っている」という自信と誇り
BtoB(企業間取引)のため、最後のお客様の顔を忘れがちになりますが、「自分たちがCO-COSの品質を作っている」という自信と誇りを持って仕事に取り組みます。その自信と誇りが妥協の無いモノづくりに繋がっています。
CO-COSの未来像
創業以来、当社は「はたらく」人に安心と安全、快適さを提供することをビジョンに掲げてきました。この「はたらく」には、ワークウェアの持つ力を最大限に発揮するという意味に加え、当社の従業員のはたらきやすい環境を守るという意味も含まれています。「CO-COS 創生プロジェクト」は、「はたらく」人に貢献できる会社を従業員みんなで作っていくプロジェクト。社名の由来である共存共栄(Coexistence and co-prosperity)を常に意識しながら、新しい形の共存共栄を見出していきたいと考えています。